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児嶋サコ 展 - Many balls are going to die –

児嶋サコ 展 - Many balls are going to die –
2004年5月11日(火)~6月5日(土)

– Many balls are going to die –
性をモチーフにしたオブジェやパフォーマンスで、人間の心理(とりわけ弱さ)を強烈なインパクトをもって表現してきた児嶋サコが、 今度は戦争をテーマに作品を発表する。
「なぜ戦争に行くのはほとんど男なのか?」といった、戦争から受けるイメージを手がかりに、 より自分に引き付けた感覚によって、戦争をめぐる現象から戦争と性、人について考察する。 戦争は、意図的かつ組織的な闘争である。単に武器を持ち暴力を行使するだけでは戦争といえない。 しかし、性という視点から戦争(あるいは「戦い」)を考えた場合、そこには集団の論理では説明のつかない闘争本能という、 人間の内にひそむ性質と利害が複雑にからみあっている。
本展は、そこにメスを入れ、戦争を動かす好戦的な男と戦争へと死に行く男たち(many balls)の弱さの矛盾などをサコ流に表現する。 はたして児嶋は心に眠る戦の女神ベローナを呼び覚ますことができるのだろうか?(八木宏昌:学芸員)


男は女々しい。おかしな言葉である。しかし私はよくそう思う。 男の方が細かいことにこだわってグチグチいうことが多い気がするのだ。つまり、良く言えば繊細なのだと思う。 男らしい女らしいという言葉が死後である今、それでも違いというものはあるのだろうか。
そういえば男の人は戦争が好きだ。こんなことを言うと怒られそうなので言い直すと、戦争に行くのはほとんど男だ。 でもなぜ?戦う本能?数多い雌とまぐわい自分の子孫を増やすための男減らし?
特攻とか犬死とかヤクザとか銃とかナイフとか、明らかに男の方が女より好きな人は多いだろう。 その割には痛いのダメだし、戦死するとき叫ぶ言葉はお母さーん。不思議な生き物である。
とは言っても男だ女だという区切り自体に不信感を持つ私はそういった攻撃的自滅的気持ち、 戦いに対するロマンのような気持ちがまったくわからないでもない。そもそも戦争にはなぜ男が 行くのか。誰が決めたのか、男が子育てをすれば女も行けるはず。 行きたくない男だって沢山いるはずだ。男だと言うだけで、ペニスとタマタマがたまたま 付いていただけで人殺しに狩り出されるのはかわいそうではないだろうか。
おかしいかもしれませんがその辺りから自分なりに戦争、そして人について考えていきたいと思う。 いきなり反戦だのなんだのというとまっすぐ物事が見られないような気がするし、 それが言いたいわけでもないのだ。そしてあえて美術でこういったテーマを扱うのだから美術でしか表すことが できない方法で戦争について考えたいのだ。そしてただ世の中から争いが絶えないわけを知りたい。(児嶋サコ)

sakoDM