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中島俊市郎 「Sign」

nakajima2005 stalkseries2001-2032

studioJにおける7月の展覧会は、中島俊市郎展 「Sign」を学芸員の八木宏昌のキュレーションにより開催いたしました。中島は工芸染織を学び、今まで多くのタペストリーや手工芸的な技法をもちいた造 形作品を制作してきましたが、近年はプラスチックやビニール、羽毛、紙といったあえてチープで安価な素材を使い、オブジェやジュエリーを創っています。工 芸家という意識を持つ中島ですが、生み出される作品は、軽やかでモダンな雰囲気を持ち現代的な空間にマッチするものです。
今回の個展は、上記のような素材を使ったオブジェ約150点とジュエリー約10点を展示いたしました。初日には、作家とキュレーションを行った八木宏昌によるトークも行いました。

中島俊市郎は、近年、安価な素材を用いたシンプルな「装身具」を制作してきている。装身具を身につけるとき、人はそのものの美しさとともに「高価なものを身につける」歓びをもとめる場合が多い。 しかし、中島はそこから資産的な価値をできる限り取り去り、純粋に「かざる」ことの意義を追求しようとする。今回の個展では、身近にあふれるプラスチックを思わせるチープな素材によるオブジェと、 それをモチーフとしたジュエリーを展示する。作為のないものに美を感じ、子どもがさす花かんざしのような自然さを愛す彼の新作が、鑑賞者を無垢な気持ちにさせてくれることと思う。

学芸員 八木宏昌


コメント
工芸品と称されるものはたいがい、「器」とか「着物」とかいう道具としての用途を備えています。工芸品の魅力について考えてみると、その「美術的」な 魅力もさることながら、それが道具であり「用途」をもつことが鑑賞者や所有者に一層の高揚感をあたえるように思えます。
「装身具」は、人が使う道具の中でもちょっと変わっていると思います。結婚指輪、勲章、ダイヤのペンダント。それらは記念や思い出、地位、希少価値が あるから、身につけます。しかし、あるダイヤのペンダントにたいへんな希少価値があっても、ある人がそれを魅力的と感じなければ身につけることはないでしょう。 道端に咲く花を「きれい」だと思い、胸にさせば、きっとすぐにしおれてしまうそれも装身具になり得ます。記念や思い出、地位、希少価値、魅力的、きれい。これらは抽象的で個人的な価値観念です。
逆説的に考えると、装身具は、持つ人にとって抽象的な価値が見いだせなければ成立しない道具と言えると思います。茶碗はご飯をもるとか茶をくむとかの 用を満たせばとりあえず道具として成立しますが、装身具はそうはいきません。装身具は高度に知的な道具であるとも考えられます。このことを、自分は面白 いと感じます。

中島俊市郎